バタシーホームの歴史

battersea dogs
John Charles Dollman, “The Dogs Home,
” Pictorial World 27 February, 1875, 522. Author’s collection

今や世界各地で理想的な動物保護施設のモデルとされている
ロンドンの犬猫保護施設バタシー・ドッグス・アンド・キャッツ・ホームです。
野良犬、迷い犬、飼い主と住めなくなった犬猫を
新たな飼い主が見つかるまで保護する一時預かり場所です。

多少の例外はありますが(獰猛な犬の増加で安楽死をさせるケース)、
バタシー・ドッグス・アンド・キャッツ・ホーム(以下バタシー・ホーム)だけではなく、
イギリスの保護センターは、「健康な犬猫は処分しない」をポリシーにしております。
バタシー・ホームのほとんどの犬が一ヶ月以内に貰われていきます。
今までの最長記録は3年とのこと。

南西ロンドンにあるバタシー・センターのほか、
ケント州、ロンドン郊外のオールド・ウインザーにも施設があり、
常時600匹の犬と250匹の猫を保護しています。
2009年は一万600匹(うち犬900匹)が保護され、
犬約1万匹、猫約3500匹が新しい飼い主のもとへ引き取られます。
1860年から受け入れた犬猫の合計は3500万匹を超えるということです。
正社員約300人、ボランティア400人、
年間1300万ポンド(バタシーのみ)の運営費用は
すべて寄付金でまかなわれています。

さて、そのバタシー・ホームの歴史なのですが、
ホームのスピリットをよく伝えていると以前より保管しておりました、
ロンドンの情報新聞紙ジャーニーの特集記事
「ロンドンの犬たちを救え!!バタシー・ホーム誕生物語」から
抜粋したものをご紹介いたします。

以下はジャーニーより抜粋

「キッチンの一角から誕生したバタシー・ホーム」

動物愛護の先進国ともいえるイギリスであるが、
150年前までは闘犬、闘牛、熊への虐待などの
ギャンブルにまつわる動物いじめが娯楽として広く普及していた。
通りをうろつく飢えた野良犬、餓死する迷い犬などはロンドンの日常的な光景であった。

1824年上流階級の人々、知識人たちを中心に
世界初の動物保護団体RSPCAが設立されたが、
1833年に奴隷制度廃止法が制定されたばかりで、
人間でさえ満足に守られていないというのに
動物を保護するのかと鼻で笑われるのも無理はなかった。

そんな時代に通りで弱りきった犬を拾ってきては看病する一人の女性がいた。
バタシー・ホームの創始者であるマリー・ティルビー未亡人(1801-1865)である。
自宅のキッチンに野良犬や虐待された犬たちを連れてきては元気になるまで世話をした。
世間の嘲笑や批難にさらされ、幾度となく財政面での危機にも直面し、
決して順調にはいかなかった保護施設だが、メアリーは決してあきらめることはなかった。
死するまでの最後の数年を施設設立のために全力を尽くして駆け抜ける。
その執念と情熱。そして何よりも犬たちへの深い愛情なしには達成できない、
60歳を目前にした「大チャレンジ」であった。

しかし問題は山積みである。「犬がうるさい」という近所からの苦情はもちろん、
何より大きいのは資金不足であった。
どんなに愛情や情熱があっても施設の維持費、餌代、薬代、運搬費など
多額な資金がかさむ。誰かからの援助がなければ到底継続できない事業だった。

しかし、ただの犬好きの女性による夢にすぎなかったかというとそうではなかった。
彼女の思い切った試みは時代の波に乗りつつあった。

まずはRSPCAの働きにより動物愛護の動きが盛んになっていたこと。
ダーウィンの「種の起源」の中での犬に関するエピソードが話題になり、
世界初のドッグショーの開催などが後押しをしてくれた。
さらにフローレンス・ナイチンゲールの人道的な働きにより、
チャリティ活動の精神が国中に広がったのである。
メアリーたちは街頭に立って寄付金を募ったり、
貴族、聖職者、資産家、名土などの要職者を紹介してもらい寄付を集めていった。
そしRSPCAが寄付金受付の窓口となり、助言も与えてくれたのである。

タイムズ紙からの批難

ホーム存続に必要なものは、資金はもちろんのことだが、
多くの人々にその存在を認めてもらうことであった。
そこでメアリーはホームの設立趣意書を発行する。
「いかなる状態の犬も保護する」
「彼らを必要とし、世話ができる人々がいれば受け渡しを行う」など
現在に続くホームの基本姿勢が見られる。

これを好意的にとる媒体もいたし、さげすむ媒体もいた。
しかし最もホームにとって大打撃となったのは
タイムズ紙に「ばかげた感傷趣味」と辛らつにめった切りにされたことである。
同紙は英国で最も影響力をもっていた新聞であったため、世間の風当たりは益々強くなった。

もちろんメアリーはひるまなかった。「Home For Lost And Starving Dogs」という名称で
保護施設をビジネスとしてスタートさせるが、資金を持ち逃げされたり、
大家から立ち退きを要求されたりと、休む暇はなかった。

救世主ディケンズ

そのような中、ホームの歴史に神風を吹きこんだのが
当時英国のみならず英語圏で最も売れっ子作家であったチャールズ・ディケンズであった。
愛犬家として知られるディケンズはホームを訪れ、献身的なスタッフをねぎらい、
施設存続の意義を称える記事を掲載した。そしてその記事は大きな反響を呼んだのである。
「ディケンズが認めるのだから、きっと価値あるものに違いない」という認識に変化してきたのである。

これを機に多額の寄付が集まり、ホームの経営も軌道に乗り始めた。
ディケンズの記事はホームにとってまさしく幸運のプレゼントだった。
しかしそれを得るにいたったのはマリーらが誠実な情熱を注ぎ続けたからである。

しかしメアリーはがんにおかされ、64歳でこの世を去る。
その後ホームは1871年に現在のテムズ河南岸のバタシーに移転。
ビクトリア女王、そして後にエリザベス女王もパトロンになり、1883年には猫の受け入れも開始。
ふたつの世界大戦も乗りこえ、現在にいたる。

ごく普通の女性がキッチンの一画から始めた小さな取り組みは、
今や動物保護の理想的な保護センターとして世界各国の手本となっている。
150年もの間に、ここまでの成長を遂げるとはメアリーも想像していなかったに違いない。

ただこの施設が存在し続けることは、逆に言えば、
飼い主を失った犬や猫たちが存在し続けるということである。
この施設がなくとも、犬や猫たちが家族の一員として暖かく迎えられ、
幸せに暮らしていけることが理想だ。
多くの犬たちを救った彼女の魂は、これからも時代を超えて受け継がれていくことだろう。

ホームページ「私に何の関係があるというのだ」バタシー関連記事より




動物の苦しみを和らげる社会作りを目指す

 
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RSPCA Young Photographer Awards 2011: Chris Pritchard

英国王立動物虐待防止協会
The Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals (RSPCA) は
動物福祉を推進するために設立されたイギリスの非営利団体です。
世界最大かつ最古の権威ある動物福祉団体である協会の影響力は大きく、
英国政府に対しても多大なる発言権を有し、
国内のみならず他国での似たような運動のきっかけとなっています。
RSPCAの事業はすべて寄付金まかなわれていて、
国からの補助金や宝くじの資金などは受け取っていません。

RSPCAの歴史
RSCPAホームページより転載

動物虐待防止協会は、設立者リチャード・マーティン 議員
(人情深いディックというニックネームを与えられた)、
ウィリアム・ウィルバーフォース議員、リバーエンド・アーサーブルームなどを含む
22名のグループで1824年、ロンドンのカフェではじまったという。
この団体は、世界で最初の動物福祉を目的にした慈善団体になる。

設立年の1824年には、63件のケースを裁判にもちこんだという。
1840年にヴィクトリア女王の認可がおり現在のRSPCAとなった。

1830年代後半にはRSPCAのやり方として
動物虐待の状況を「調査する」という伝統がはじまっていた。
RSPCAは19世紀を通じて議会に圧力をかけ、いくつもの法律を通過させた。
1835年には動物虐待防止法、1876年には動物実験を規制する法律を、
そして1911年にはサー・ジョージ・グリーンウッドによる動物保護法が成立した。

RSPCAは現在も積極的に動物福祉に関する条例を見直すこと、
そしてそれを実行させることに力を注いでおり、
最近の大きな成果は2006年の動物福祉法の設立であろう。

慈善事業としての使命は、動物虐待を防止し、動物への優しさを持ち、
動物の苦しみをやわらげる社会作りを目指している。

<RSPCAの使命>

ペット動物の福祉

すべてのペット動物が適切に取り扱われ、適した環境で暮らしていること
すべての動物虐待をなくすこと
世界中でペット動物の生活基準をあげること
ペット動物の過剰生産をなくすこと

家畜へのキャンペーン

農場で飼われているすべての家畜の生活基準をあげること
家畜の登録を推進すること
消費者に食肉、卵、酪農食品を購入する際に
  動物福祉をきちんと考慮している生産者を見極めるよう働きかけること
動物食品の情報提供のラベルを管理することにより
  消費者に動物福祉をきちんと考慮している生産者を見極めるよう働きかけること
英国から生きたままの家畜を食肉のために輸出することを禁止すること

野生動物の福祉

野生動物をサーカスで使用することを禁止すること
スポーツの目的で野生動物を狩りしたり殺したりすることを許さない社会作りを目指すこと
動物に芸をさせる場合はガイドラインに沿った方法を用いること
海外からの動物をペットとして不適切な環境で飼うことを禁止すること
象牙の貿易を阻止すること

実験動物への取り組み

実験のために動物を使用することへの必要性と正当性を問いただすこと
実験により動物が苦しむようなことがないようにすること
世界中で実験のために飼われている動物の飼育状況を改善すること
ヨーロッパで新しい条約が設立されれば、英国内でもそれに沿って改善すること

RSPCAの歴史
「私に何の関係があるというのだ」ホームページ





畑を耕し種をまき始めているのは確かである

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RSPCA Young Photographer Awards 2010 Giraffe by Claire Waring,18

イギリス動物愛護の歴史 続き

飛躍的進歩

1781年、動物に関する最初の法律が成立した。
ロンドンのスミスフィールド・マーケットの牛の扱いに関する法律である。
1786年には屠殺のライセンスを要求する法律ができた。また法律化はしなかったが
1800年に闘牛を禁止する書類も国会の議事録の中に見られる。

1822年リチャード・マーティンによる牛の取り扱いに関する虐待禁止法が国会を通過した。
これは動物福祉に関する世界初の国会法であり、
虐待にあっている馬、羊や牛といった多くの動物たちを守るためのものである。

1824年 the Society for the Prevention of Cruelty to Animals (後の R SPCA in 1840) が設立された。
この同盟は主に法の施行と起訴に力を注いだ。1835年、法律は改訂され、適合範囲を拡大し、
その効力は犬や猫などにも及んだ。アメリカの初の動物保護団体
the American Society for the Prevention of Cruelty to Animals が1866年に設立され、
1900年までにはアメリカでは数百の保護団体が発足する。

1860年、ミセス・マリーテルビーはロンドンで「迷子の腹のすかせた犬の仮ホーム」と名づけられた
後にバタシードッグホームとなる動物福祉団体を設立した。
野良犬に家を提供する世界初の団体である。

1870年の初頭、それまで使われていた爬虫類に代わって犬や猫が実験に使われるようになった。
それを受けて、
British Union for the Abolition of Vivisection and the National Anti-Vivisection Society. といった
動物実験反対の団体が1870年代に設立される。R SPCA は動物虐待の一環として動物実験も含んだが、
法律は1876年まで実行されなかった。世界初の動物実験に関する法律であり、
ライセンス手続きの規制や視察導入などを法制化した。

1906年ブラウン・ドッグ事件として有名な事件が起こる。医療研究所で科学という名のもとに
非常にショッキングな虐待の実験実態を二人の医学生が白昼のもとにさらしたのであった。
この事件を記念して世界動物実験反対カウンシルが
ロンドンのバタシー・ドッグス・アンド・キャッツ・ホームにブラウン犬の銅像を立てるのである。
1年後、医学生100人がこの銅像を撤去しようとしたが、地域住民が差し止めた。
このような騒ぎで、今まで闇の中で行われていた動物実験の実態に関して、
多くの人の耳目を集め、マスコミで多くの議論が交わされ、
数千人の人がトラファルガー・スクエアで動物実験反対のデモ行進を行う。

翌年の1911年 従来の動物保護法を強固にしたthe Protection of Animals Act が国会を通過したが、
第一次第二次世界大戦時は活動は活発ではなかった。
哲学者リチャード・ライダーは「社会的問題に対する意識は戦争下においてマヒする」とコメントを残している。

1960年になると食用動物へのひどい虐待が明らかになり、世間を震撼させる。
1964年にルース・ハリソンが刊行した「アニマル・マシーン」が民衆と政府への気づきの原動力となり、
世論、激討論が高まっていくのであった。

素晴らしい動きは三つのステージを経なければならない。
まず物笑いになる。討論がかわされ、そして適用される。ジョン・スチュワートミル

1967年、ピーター・ロバートは農場動物虐待反対のための
Compassion in World Farming to protest against the abuse of farm animals
.を設立するも、公的にも法的にもさして変化はなかった。

1970年代は動物の権利や虐待防止に対する民衆の意識が高まりはしたものの、
政府が効果的な対策を打ち出さないことに活動家は失望していた。
この時期、名高い動物活動家であるピーター・シンガーの著書は多くの活動家に影響を与え、
動きに拍車をかけ、デモやプロテスト、署名活動が活発に行われた。
また1970年以来、実験所や農場から動物を剥奪したり、
狩猟や研究所、ブリーダーへの妨害活動が活発になり、
動物の権利について民衆の目を開かせ、論争を巻き起こしていく。

1970年以降、動物保護の動きは二つのカテゴリーに分かれていく。
動物福祉と動物の権利である。動物の権利を信じる人は動物の生に対する本来の権利を信じる。
動物は生きていくうえで基本的な権利があると考え、
虐待や侵害を受けない基本的な権利を確立させなければならない。
動物福祉を唱える人は人道的に扱えば動物は人間の使用のために存在するという考えを持つ。
両者とも動物保護団体と名乗り、常に議論の的であるが、「福祉」も「権利」もただの哲学的な相違であり、
実は両者とも動物に対する憐れみであり、気にかける心であり、敬意であるという人もいる。

2002年、ドイツは次世代のために自然界の生物と動物の保護に
国家組織で保護責任を持つと明記した声明を発表した。
国をあげての保護をうたうヨーロッパで最初の国である。
スイスも動物を生あるものとして保護の規定を憲法にとりいれた。
この2カ国が動物の位置づけを法的システムにまで取り入れたことにより
動物保護の動きの歴史的なマイルストーンとなったのである。

ヨーロッパ統合により、ヨーロッパ全土に動物福祉の強力な執行力が広まった。
1997年の同盟条約により、各国が動物実験、動物輸送、農場、海外市場などの分野で
法律化しようとするとき、ヨーロッパ連合の基準が基になるよう律した。

アジア、南米、アフリカなどの植民地にも動物保護団体の設立の影響は及んだ。
何十年も前から犬や猫の問題を解決しようとあちこちでグループが設立されている。
その設立者の多くはヨーロッパからの白人であったが、
今日では現地の動物問題の解決にあたっている多くの機関は、
現地の人たちで構成されるようになってきている。

ここ数十年、イギリスと北米のグループはキャンペーンの焦点を自国から海外へ移し始めている。
捕鯨、アザラシ、熊農場、動物の長距離輸送、ブッシュミートなどのいろいろなキャンペーンを展開し、
国際的な警鐘と支援を求めている。
今まで動物保護など意識にのぼっていなかった多くの国の人々も
これらの活動に刺激を受け、自分たちで保護活動のプログラムを作るようになっているが、
開発途上国の動物保護活動は長期のサポートとリソースが必要である。

動物保護の動きは歴史においてかなり最近のことである。
多くの国はイギリスのように200年の歴史を持っていない。
しかし、地球規模での動物保護を目指し、
より多くの個人が、グループが、畑を耕し種をまき始めているのは確かである。


動物福祉オンラインより転載
私に何の関係があるというのだ」」ホームページ

拙ホームページのサーバーが日本なので、将来的な事も考えて、長いですが、とりあえず書き写しておくことにしました。



動物保護活動の基礎的理念

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RSPCA Young Photographer Awards 2011: Will Nicholl (16 years old)


イギリスの動物愛護の歴史

 最も重要なことであるが、動物保護の歴史を見れば、それが社会の変化、政治、文化
そして経済と切り離して考えることはできないということである。
国によって歴史的見地が違うかもしれないが、
イギリスは動物保護に関しては一番長い歴史があり、
その動きはヨーロッパや北米の動きの歴史と並行している。


動物に対する人間の態度

 1500年から1800年にかけてのイギリス人の伝統的な動物に対する考えは
「世界は人間のために存在しており、他の種はすべて人間の従属な存在である。
ゆえに好きなようにしてよい」というものであった。
しかし動物と人間の生活は密着しており、
たとえばペットを飼うことが一般的になったのは1700年代という早い時期である。

18世紀のジェレミー・ベンサムの有名な言葉がある。
“問題は「動物が理性的であるか。話すことができるのか」ではなく、
「彼らは苦しむのか」なのである。”  これが動物保護活動の基礎的理念となる。

同時期多くの作家や詩人が動物に同情をよせ、虐待に関して批判をするようになった。
人間と動物の関係は、農地改革、経済成長、政治により変化を見せ始める。

19世紀のイギリス産業革命により、生活は都市化し、自然世界に対する意識が変わってきた。
人々は動物に接する機会が少なくなり、労働力としての動物に依存することも減ってきた。
そこでペットとしての動物との関係が深まるのである。
19世紀までにはペットを家で飼うことはイギリス人にとって普通のことになった。
動物の位置が以前より上がったということであろう。

動物福祉オンラインより転載
私に何の関係があるというのだ」」ホームページ


その日へ向かっていると感じて生きていきたい


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Owen Hearn, Winner 2013's Young Photographer Awards RSPCA Hare in the snow


RSCPAのホームページに
 「動物保護の歴史を知ることは重要である」とあります。

 なぜなら
「過去における動物福祉の問題、その対処法、
そしてその成果を歴史の動きで知れば、
同じ間違いを冒さないようにすることができる」
からだそうです。

とは言っても、歴史は繰り返すので同じミスをしないとは限りませんが…。

 「成果を踏襲し、人間社会の中で動物がまともな扱いを受ける将来へのプロセスを
少しずつでも進歩させることができる
」という箇所で同意はするものの、
動物虐待のニュースがあまりにも多すぎて、
私たちが思い描く世界は夢物語だ、無理だ、できっこない、と
時として投げやりな気持になる私は、
動物福祉オンラインの以下の文にハッとさせられるのです。

 「私たちはその変化の全部を自分の目でみることはできないかもしれないが、
歴史における成功を理解することにより、
今やっているあるいはやろうとしている努力が
確かに正しい方向へ向かっているということを感じることができる」


 動物愛護の歴史が一番長いといわれるイギリスでさえも、まだ200年。
虐待のきわみを行っていたイギリス人がたった200年でここまで来た。
日本がイギリスより100年遅れているとしたら、
あと50年で日本はイギリスに追いついているのではないでしょうか。
100年たったらもしかして日本のことだから
追い越してノウハウを逆輸入にしているかもしれない。
私はそれを自分の目で見なくても良い、
その日へ向っていると感じて生きていけさえしたらと思います。
なのでできるだけ早く追いつき、追い越すために
先達の足跡を知ることが大切なのだと、そういうことなのです。


私に何の関係があるというのだホームページより





プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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