助けたいと思う強い気持ち

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At Jermyn Street

BBCの倫理ページの「動物と宗教」の項目が面白いので折々ご紹介させてください。

長いので、数回に分け、かつ適宜はしょります。

詳しくご覧になりたい方は

BBC ANIMAL RIGHTS

本日はキリスト教です。

キリスト教は、長い間、動物の苦しみを無視してきた。
人間は動物に比べて格段崇高であると信じられてきたのである。
動物に道徳を適用する価値はなく、ひどい扱いをしてもかまわないと教えてきた。
昔の人は自然は牙と爪をとがらせていると言い、
動物は他の動物から食べられることが自然の摂理だとされていた。

これがキリスト教の教理に反映されていたのである。

「神は動物を人間が使うために創られた。ゆえに人間は好きなように使用する権利がある。
人間には魂があるが、動物にはない。ゆえに動物は人間に比べて極度に下等であり、
モラル的に考慮の価値はない。」と。

キリスト教の考えは偏重的に人間中心であり、動物の立場ではなく自分たちの都合で考えてきた。
しかし時が経つにつれ、環境問題の動きも活発になり
自然に対する人間の役割は支配搾取するべきものではなく守るべきもの、
共存すべきものであるという社会の風潮になってきた。

これが動物に対するキリスト教の態度を大幅に変えた。

動物への虐待は罪深く、道徳的にも間違っているというふうに教義は変化し、
動物に同情を寄せる人も多くなってきた。

しかしまだ多くの教理者たちは動物に権利があるとは思っていないが
自我意識を持ち、道徳の配慮内に入る動物もいることを受け入れるようになってきた。

クリスチャンの立場から動物の権利を説くアンンドリュー・リンぜイ博士は
以下のように提唱する。

動物は神からのギフトである。
彼が作ったものをひどく扱うということは神をねじまげているのと同じことである。
人間にとって役にたつかどうかのものさしでなく
神によって与えられたものという価値ですべての動物を扱うべきである。
宇宙は人間のために作られたのではない。神のために創られたのだ
動物を冒涜することは神を冒涜することである。


カソリックの勉強会に出席したとき
「キリスト教では肉を食べることをどう思うか」と質問したところ
「動物は神様が人間に使うために創ったので、
気にしないでじゃんじゃん食べて」という返答がきて、
ドン引きしたことがあります。

キリスト教といえばヨーロッパを支配する強力な宗教です。
英国国教会にしろカソリックにしろ人々はキリスト教の土壌で育っています。
動物の福祉なんて神の意思に反しますという教えの中で
「それは違うんじゃないか」と立ち上がった人たちの勇気は素晴らしいです。

物事を動かすのはいろいろな作戦も必要でしょうが、
やはり「助けたいという思い」がどれだけ強いかなのでしょう。
しかも自分のことではなく他のもののために。


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プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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