畑を耕し種をまき始めているのは確かである

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RSPCA Young Photographer Awards 2010 Giraffe by Claire Waring,18

イギリス動物愛護の歴史 続き

飛躍的進歩

1781年、動物に関する最初の法律が成立した。
ロンドンのスミスフィールド・マーケットの牛の扱いに関する法律である。
1786年には屠殺のライセンスを要求する法律ができた。また法律化はしなかったが
1800年に闘牛を禁止する書類も国会の議事録の中に見られる。

1822年リチャード・マーティンによる牛の取り扱いに関する虐待禁止法が国会を通過した。
これは動物福祉に関する世界初の国会法であり、
虐待にあっている馬、羊や牛といった多くの動物たちを守るためのものである。

1824年 the Society for the Prevention of Cruelty to Animals (後の R SPCA in 1840) が設立された。
この同盟は主に法の施行と起訴に力を注いだ。1835年、法律は改訂され、適合範囲を拡大し、
その効力は犬や猫などにも及んだ。アメリカの初の動物保護団体
the American Society for the Prevention of Cruelty to Animals が1866年に設立され、
1900年までにはアメリカでは数百の保護団体が発足する。

1860年、ミセス・マリーテルビーはロンドンで「迷子の腹のすかせた犬の仮ホーム」と名づけられた
後にバタシードッグホームとなる動物福祉団体を設立した。
野良犬に家を提供する世界初の団体である。

1870年の初頭、それまで使われていた爬虫類に代わって犬や猫が実験に使われるようになった。
それを受けて、
British Union for the Abolition of Vivisection and the National Anti-Vivisection Society. といった
動物実験反対の団体が1870年代に設立される。R SPCA は動物虐待の一環として動物実験も含んだが、
法律は1876年まで実行されなかった。世界初の動物実験に関する法律であり、
ライセンス手続きの規制や視察導入などを法制化した。

1906年ブラウン・ドッグ事件として有名な事件が起こる。医療研究所で科学という名のもとに
非常にショッキングな虐待の実験実態を二人の医学生が白昼のもとにさらしたのであった。
この事件を記念して世界動物実験反対カウンシルが
ロンドンのバタシー・ドッグス・アンド・キャッツ・ホームにブラウン犬の銅像を立てるのである。
1年後、医学生100人がこの銅像を撤去しようとしたが、地域住民が差し止めた。
このような騒ぎで、今まで闇の中で行われていた動物実験の実態に関して、
多くの人の耳目を集め、マスコミで多くの議論が交わされ、
数千人の人がトラファルガー・スクエアで動物実験反対のデモ行進を行う。

翌年の1911年 従来の動物保護法を強固にしたthe Protection of Animals Act が国会を通過したが、
第一次第二次世界大戦時は活動は活発ではなかった。
哲学者リチャード・ライダーは「社会的問題に対する意識は戦争下においてマヒする」とコメントを残している。

1960年になると食用動物へのひどい虐待が明らかになり、世間を震撼させる。
1964年にルース・ハリソンが刊行した「アニマル・マシーン」が民衆と政府への気づきの原動力となり、
世論、激討論が高まっていくのであった。

素晴らしい動きは三つのステージを経なければならない。
まず物笑いになる。討論がかわされ、そして適用される。ジョン・スチュワートミル

1967年、ピーター・ロバートは農場動物虐待反対のための
Compassion in World Farming to protest against the abuse of farm animals
.を設立するも、公的にも法的にもさして変化はなかった。

1970年代は動物の権利や虐待防止に対する民衆の意識が高まりはしたものの、
政府が効果的な対策を打ち出さないことに活動家は失望していた。
この時期、名高い動物活動家であるピーター・シンガーの著書は多くの活動家に影響を与え、
動きに拍車をかけ、デモやプロテスト、署名活動が活発に行われた。
また1970年以来、実験所や農場から動物を剥奪したり、
狩猟や研究所、ブリーダーへの妨害活動が活発になり、
動物の権利について民衆の目を開かせ、論争を巻き起こしていく。

1970年以降、動物保護の動きは二つのカテゴリーに分かれていく。
動物福祉と動物の権利である。動物の権利を信じる人は動物の生に対する本来の権利を信じる。
動物は生きていくうえで基本的な権利があると考え、
虐待や侵害を受けない基本的な権利を確立させなければならない。
動物福祉を唱える人は人道的に扱えば動物は人間の使用のために存在するという考えを持つ。
両者とも動物保護団体と名乗り、常に議論の的であるが、「福祉」も「権利」もただの哲学的な相違であり、
実は両者とも動物に対する憐れみであり、気にかける心であり、敬意であるという人もいる。

2002年、ドイツは次世代のために自然界の生物と動物の保護に
国家組織で保護責任を持つと明記した声明を発表した。
国をあげての保護をうたうヨーロッパで最初の国である。
スイスも動物を生あるものとして保護の規定を憲法にとりいれた。
この2カ国が動物の位置づけを法的システムにまで取り入れたことにより
動物保護の動きの歴史的なマイルストーンとなったのである。

ヨーロッパ統合により、ヨーロッパ全土に動物福祉の強力な執行力が広まった。
1997年の同盟条約により、各国が動物実験、動物輸送、農場、海外市場などの分野で
法律化しようとするとき、ヨーロッパ連合の基準が基になるよう律した。

アジア、南米、アフリカなどの植民地にも動物保護団体の設立の影響は及んだ。
何十年も前から犬や猫の問題を解決しようとあちこちでグループが設立されている。
その設立者の多くはヨーロッパからの白人であったが、
今日では現地の動物問題の解決にあたっている多くの機関は、
現地の人たちで構成されるようになってきている。

ここ数十年、イギリスと北米のグループはキャンペーンの焦点を自国から海外へ移し始めている。
捕鯨、アザラシ、熊農場、動物の長距離輸送、ブッシュミートなどのいろいろなキャンペーンを展開し、
国際的な警鐘と支援を求めている。
今まで動物保護など意識にのぼっていなかった多くの国の人々も
これらの活動に刺激を受け、自分たちで保護活動のプログラムを作るようになっているが、
開発途上国の動物保護活動は長期のサポートとリソースが必要である。

動物保護の動きは歴史においてかなり最近のことである。
多くの国はイギリスのように200年の歴史を持っていない。
しかし、地球規模での動物保護を目指し、
より多くの個人が、グループが、畑を耕し種をまき始めているのは確かである。


動物福祉オンラインより転載
私に何の関係があるというのだ」」ホームページ

拙ホームページのサーバーが日本なので、将来的な事も考えて、長いですが、とりあえず書き写しておくことにしました。



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プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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私に何の関係があるというのだ

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