フランクとジュディ-2

judy and frank (Custom)

イギリスに戻り、検疫を終えて再会するフランクとジュディ


フランクは知らなかったが、この間ジュディは人命救助に忙しかった。
疲れて泳げなくなった捕虜兵士に肩をつかまらせ、フロートのようにうまく浮かせていたのである。
一緒に引きずり込まれるのではないかと思われたが、ジュディは大きな破片のところへ捕虜を誘導し、
兵士がつかまるのを確認すると、また別の捕虜を助けに向かった。
少なくとも4人の男がジュディに救助された。
まるで山岳遭難を助けるセント・バーナード犬の海洋版のようであったと記述されている。

ジュディは自分に差し伸べられた手を拒否し、兵士たちの救助活動を続けた。
生存者がいないことを確認した後、救助の手に身をゆだねたのである。

「ジュディが死ぬ確率は高かった。
しかし彼女はおぼれている人間の救助しか目に入っていないようだった」と目撃者は語っている。

これにより、捕虜船はシンガポールへ行かず、スマトラへ戻り、
それは捕虜収容キャンプの状態の悪化を意味するのであった。
蚊で溢れる貯水池、深い森、山や川をはさんだ端から端へ鉄道建設は
捕虜たちにとって死刑宣告を受けたようなものである。
朝7時から夜遅くまで休憩なしで働かせられ、何かあれば金属ワイヤで殴りつけられた。
ハエたたきで叩かれたハエのように地面に崩れ落ち、飢餓のため衰弱のため死んでいった。
しかもこれらの拷問リンチはすべて秘密裡に行われていたのである。

ジュディは蛇やねずみを捕って生き延びていた。。
この時期フランクはジュディがかなり変化したと記憶している。
従順なマスコットから野生のもっと本能で動く動物へと変化したと。

兵士たちは3年間の想像を絶する残酷な強制労働で心身とも疲弊していた。

「フランクを狂気からかろうじて救っていたのは
骨だらけのやせ細った茶色の目と冷たい鼻であった。
お互いがいるから生き延びる事ができたのだ。どちらが欠けても死んでいただろう」

1945年の夏になっても、捕虜兵たちはまだヨーロッパでの終戦を知らなかった。
フランクはマラリアに冒され、精神的にも肉体的にもぎりぎりの状態だった。
捕虜兵は食料の配給を減らされるためみんな病気であることを隠した。
しかしフランクは熱と震えのため隠しようがなかった、

これを見た日本兵はジュディを殺して肉を食べるように命じ、
それをフランクが一番先に食べるように指示したのである。
しかしジュディは自分の身に迫る危険をいち早く察し、
ジャングルに身を潜め、隙を見てはフランクのもとに戻り、彼を見守っていた。
その頃はもうフランクは生きる気力を失っていた。
フランクは日本兵にジュディが残酷に殺される殺されより、
自分の手でいっそと絶望的な思いがよぎっていた。

どうやって楽に逝かせてやれるか犬の寝顔を見つめながら考えていた。
ジュディは起き、フランクを悲しげな瞳で見つめ返した。
この瞬間、フランクは共に生き延びることを決意した。

1945年8月15日自由がとうとうやってきた。
ビルマやシャムの捕虜兵に比べ、
スマトラの捕虜兵は骨と皮、くぼんだ目、病に冒され、生きた死人のようであった。
マラリアか熱病に冒されていた5000人近くの男たちが発見された時は
世界中がショックに陥った。

戦争が終わり、フランクとジュディは手当てを受け健康を取り戻した。
英国政府から勇気を称えられ、勲章を受けたジュディのメダルにはこう記されている。

「日本軍の捕虜キャンプにおいて驚くべき勇気と忍耐力のおかげで
彼女の戦友である捕虜兵たちの士気を維持することができた。
また彼女の知的さと細かい注意深さで、多くの命を救った」





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プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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