フランクとジュディ - 1

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少々長いですが、ほぼ全訳しました。2回に分けてお送りします。
お時間のあるときにどうぞお読みになってください。

怪しんだ日本兵は、牢舎内を見回り始めた。

「これで終わりだ」飢餓状態の英国捕虜兵は恐怖で震えた。

彼らはそのうち毛布をひっぺがし、日本軍から盗んだ米の袋を見つけるだろう。
見つかれば全員残酷な拷問を受ける。運が悪ければ殺される。

命をつなぐための米だったのに、死をまねく物となるかもしれない。
捕虜は息ができなくなりそうだった。

ところがそこに信じられないことが起こったのである。
茶色と白の物体が部屋の中に駆け込み、日本兵の周りをぐるぐる回り始めたのだ。
口には人間の頭骸骨をくわえている。

日本人は頭蓋骨や骨に対して特異な迷信がある。気味悪がった日本兵は犬にライフルを向けて撃った。
犬はジャングルの中へ消えていった。おかげで日本兵は米の事をすっかり忘れてくれたのだ。
ポインターのジュディが英人捕虜たちを救ったのはこれが初めてではない。
第二次世界大戦の唯一の公認戦争捕虜犬は飼い主の命を何度も救ったのである。

当時のことを語る人がいる。

「動物はレーダーを体内に持っている。
怒り、幸せ、パニック、悲しみ、ありとあらゆる感情を察知できるすぐれたレーダーだ。
ジュディは明らかに牢舎内での危険を察知し、どう対処すべきかも知っていた」

1942年、スマトラの捕虜キャンプの状態は想像を絶するものであった。
何千人もの捕虜は食料も満足に与えられず眠る時間もなく、
骨と皮だけになり過酷な労働を強いられていた。
不衛生な環境で、マラリアや赤痢、皮膚病、脚気、寄生虫などが蔓延していたが、
医療措置はあてがわれていなかった。
食料配給が減るのを恐れた捕虜たちはひたすら病気を隠すので精一杯だった。

日本と韓国の兵士たちの残虐性は極まりない。英人捕虜たちに恐怖と屈辱の日々を与え続けた。
殴打は日常であり、耳を突き刺したり、道具を落とした罪でシャベルで殴り倒されるのである。
殺してやるという脅しの中で捕虜たちは身を寄せ合っていた。
虐待拷問は秘密裏に行われ、孤島だった事もあり、
連合軍はヨーロッパでの戦争が終わって3ヵ月後にやっと気付くことになる。

日本軍下の捕虜キャンプの中でも最もひどかったのは
1200人の英国人がいたスマトラのキャンプである。
その中にポーツマス出身の、若い恥ずかしがりやのフランク・ウイリアムズがいた。
彼は幼いころに父親を亡くし、母親に育てられた。
パイロットになるのには背が高すぎたので、
シンガポールにレーダー係りとして配置されたのであった。
彼は1942年の早い時期に日本の捕虜となり、
ジャングルの熱風の中で日本寺院建設に使役させられた。

ジュディは1937年上海のドッグ・ケンネルで生まれた。
砲艦のマスコット犬となったが、爆撃を受けて、兵士たちと共に無人島に流された。
辿りついた砂漠の島で飲み水を発見したジュディはその時点ですでに人間の生命を救う犬とされていた。

フランク・ウィリアムズとポインターのジュディがスマトラのキャンプで出会い、
お互い生き延びるための心の支えとなった驚くべき話が纏められ、
日本に勝った70周年を記念して出版された。

「日本兵がジュディを殺そうとした時、フランクは指をならし、
ジュディはそれを受けて猛ダッシュでジャングルへ消える。
特別な口笛がならない限り決して戻ってこない。
そのやりとりはフランクとジュディの完璧なチームワークでした」
.
捕虜たちは、当たり前のことだが、自分が生存するだけで精一杯であった。
ジュディの世話どころではない。日本兵に蹴られ、石を投げられるジュディを見たフランクは後述している。

「美しいイングリッシュ・ポインターがここで何をしているんだとと思ったのを覚えています」

必死の状態にもかかわらず、あるいはだからこそ、彼の魂がゆらいだのであろう。
自分が生き延びるのに精一杯であったはずのフランクは
この美しい犬が目の前でどんどん衰弱していくのを見るのは耐えられなかった。
彼の食糧配給分、水っぽいウジのわいた飯を手のひらに隠し、ジュディに与えた。
ぬれた茶色の目でフランクを見上げるジュディ。
フランク自身も飢えていたのだが、自分の皿のものは全部犬に与えた。
がつがつ喜んで食べる犬とフランクは生涯の絆を結んだのである。

別の戦友の記述である。

「フランクとジュディがお互いを理解するその完璧さにいつも魅せられていました。
本当にすごいチームワークでしたよ。
やせ細って半飢餓状態の犬の目はフランクが撫で、話しかけたときだけ柔らかくなりました。
ジュディは苦しみの地獄の中で喘ぐ男たちの生存希望の一条の光でした。
あの過酷な状況で生き延びる能力とイギリス兵たちへの献身は言葉に尽くせないものがありました。

どんな動物だってあのジャングルの中で一日たりとも生き延びることはできません。
ジュディは素晴らしい本能を持っていたからですが、
それでも何度も他の犬や猫と同じように日本兵に殺されかかったのです」

フランクはジュディを殺害から守るべく何か行動を起こす必要があった。
ジュディが仔犬を出産したときにそのチャンスが来たのである。

キャンプの隊長である伴野大佐の興味は酒と現地女性との交遊であった。
取り巻き女性たちはジュディが好きで、いつもきゃっきゃと喜んでいた。

ある夜一番可愛い仔犬を選んだ囚人番号81番、フランクは
射殺されるかもしれないリスクを冒し、どきどきしながら大佐の部隊へ進んだ。

おそるおそる小さい手のひらに乗っている子犬を差し出した。

「これはあなたのご友人へのギフトです」

果たして大佐は機嫌よく酔っ払っていて仔犬を喜んで受け取ったのである。
フランクは安堵のため息をついた。

フランクは続けて大佐に仔犬の母親を守ることがどれだけ大切かを説明し、
ジュネーブ条約に基づいた特別に保護を受けられる正式な捕虜犬として認めてくれるよう要請した。

大佐の機嫌がよく、ジュディは戦争囚人犬81番Aとして正式に認可され、
これで今後射殺される心配はなくなったのである。

1944年6月、日本軍は捕虜たちを突然シンガポールに移すことにした。
錆びれた船で移動することになったが犬は乗せられなかった。
しかしフランクは人に見られずにジュディを袋の中に滑り込ませるよう訓練をしていたので、
うまく乗りこむことができた。

船の外側からはまさか捕虜が乗っているとはわからず、連合軍の標的になった。
船は爆発し、破壊され、オイルが海にひろがった。

フランクはジュディを船底から引きずりだし、「泳げ!」と叫びながら、海に投げた。
どうかどうか生き延びてくれと祈りながら。
フランクはハッチから海上に抜け出し、波に飲まれながら、
それから二時間狂ったように彼の愛する親友を探し続けた。

続く

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プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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