さようなら親愛なるフィン

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At Primrose Hill

前回の続きです。

14年間、私の忠実な友人であったもじゃもじゃ毛のフィンの最後がきた事を
私も彼も知っていた。ベルファーストから、ワシントン、イスラエルからロンドン、
そしてノースヴァージニアと一緒に旅をしてきたが、明らかに彼の旅は終わってしまった。
痛みのため声をあげるようになり、間隔もだんだん短くなってきている。
水も食べ物も受けつけなくなり、散歩もままならくなった。
後ろ足は動かず、身体の下にたくしこまれている。
伸ばそうとするのだが、思うようにならず、私のほうを悲しげに見る。
彼の最後の散歩は屈辱的にも鼻から崩れおち、抱きかかえて帰られなければならなかった。

前の記事で書いたように、フィンの症状はゆったりであったが、確実に進行していた。
この一年、階段を抱えておろしたりあげたりする状態である。
6ヶ月前から失禁するので、家の中ではおむつを始めた。
私は初めはショックだったが、フィンは気にしていないようだった。

今はがけから転げ落ちるように急激に悪化してきている。
玄関のドアのそばで何時間も動かず、彼の頭をあげさせるものは何もない。

私はフィンと一緒に湯船に入った。(これが大好きだった) 
少しだけ楽になったようだが、一週間前までは風呂のあと、
ラグや布団に身体を乾かそうと狂ったようにくっつけていたのだが、
湯を抜いている間もじっとしている。

「お前は幸せないい子か」と聞いた。
彼はいつも尻尾を振ってその質問に答えてくれたのに、今は動かない。

翌日獣医に電話をし、フィンは私たちから去っていく用意ができたと思うと告げた。
電話を置き、ガレージへ走り、スコップをつかんだ。
その足で庭に穴を掘り始めた。
フィンのためと決めていた場所は、彼が走り、
泳いだピミットランが見下ろせるスポットである。

フィンの墓を掘ること。
それは彼が逝ってしまうことを受け入れるように
自分自身に強制する方法なのだろう。
3フィートは掘らなければならない。土は根や石や岩で固かった。
汗と涙で顔中びしょびしょになった。
家の中に戻るとフィンは同じ場所で横たわっていた。
ベルファーストのシェルターで彼をもらったとき買った
フィンの初めてのおもちゃであった象を彼の頭の下にすべらせる。

その夜、妻と私は5歳のテッサと3歳のマイルズに
フィンがもうすぐさようならをすることを話した。
テッサは最初ほんのちょっとの間だけだと思っていたが、
やがて悲しそうに言った。
「じゃあ、私たち家族は4人だけになるのね」。

フィンの痛みは一時間ごとに増してきた。数分でも一人になると寂しげに泣く。
最後の夜フィンと一緒に寝ることに決めた。
一緒に寝るのはずいぶん昔である。(結婚前は彼の習慣だったが)
今はフィンがそして私が安心するために、彼に触れていたかった。
しかし、フィンは眠れず、泣いたり叫んだりした。
身体が楽になる寝場所を探してもぞもぞするのだが、無理なのである。
彼も私も眠れなかった。とうとう私はフィンを床におろした。
泣き声はひどくなったが、電気をつけると落ち着いたようである。
夜が明けるまで電気をそのままにしておいた。

翌朝、神の憐れみか、フィンは落ち着いていた。
家で仕事をする私の傍らに横たわっている。お気に入りの場所だ。
テレビはCNNニュースを流していた。すべては何も変わりないのに。
ここで2冊の本と何百もの記事を書いてきた私をその場所でながめていた。
棒を追っかけたり、空中でテニスボールをキャッチしたりすることと同じくらい
私の足元にいるのが好きだった。
妻のシェリルはフィンと一緒に床に横になってしばらく一緒に過ごした。
フィンは妻の顔の涙をなめ、彼女の肩に鼻を置いた。

獣医がくる一時間前、私とフィンは庭の樫の木の下の芝生で横になった。
愛していること。私を大切にしてくれたこと。
そしてフィンの後から来た家族をも大切にしてくれたことへの感謝の気持ちを伝えた。

フィンと過ごした日々を思う。エネルギー満ちあふれる犬で、
私の肩の高さまでジャンプができ、障害物を飛び越え、駆け抜けていた。
何時間でも泳ぎ続けることができた。
最初の頃は家を留守にするとカーペットや紙類は全部くいちぎられた。
あるとき、家にも戻ると、領収書のタバがめちゃめちゃにされていた。
半分濡れたタクシーの領収書を見ながら、数百ボンドがフイになったことに呆然とした。

この後、私はフィンを仕事に連れていくことにする。
(それがフィンのねらいだったのかもしれないが)
フィンは取材の緩和剤になった。以前私に懐疑の目を向けていた政治家が、
フィンを見るなり、犬について楽しげに語り始めたのである。
また私がジャーナリストとしての身分を隠したいときにも役だった。
土地の人間に見えるので、普通通行できないところも侵入できる。
ただフィンが警察犬にむかって吠えるのは閉口したが。

灰色のベルファーストからワシントンへ赴任したとき、
フィンはすぐ慣れ、夏は野生動物を追いかけ、冬は腰まで雪につかった。
2003年弟とフィンとアメリカを旅行した時のことである。
ラッシュモア山で、(いまだにとってあるが)、罰金50ドルのチケットをもらった。
ペットを杭につないで放置した罪に問われたのである。
私としては観光場所が動物禁止だったので、
ちょっと杭につないでほんの数分見に行っただけだったのに。

イスラエルでは、フィンが到着したとき、
税関は「鳥だと聞いていた」と通過を拒否されたこともある。
エルサレムでは私がイラクにいる間、中近東担当記者が預かってくれ、
彼女が世界中にニュースを発信しているその足元でねそべっていた。
またユダヤ人カップルの家でもよく預かってくれた
子供たちはフィンのことをヒーブル語でアジューと呼んでいた。

驚かされたのは、フィンはどんな状況に置かれても満足しているということである。
シェルター犬は普通また捨てられるのではないかと心配し、
主人が視界から消えるのを恐れるはずなのだが、
彼はそういうものだと理解すると、私が彼にとって一番良い事をしてくれていると
信頼してくれていたように見えた。

だからオムツをあてることも、薬を飲ませるために一日二度喉に手をつっこむ事も、
彼は私に許してくれたのだと確信する。
そして彼が今味わっているひどい苦しみを止めるために、
私が彼のために一番良い事をしてくれるはずだと信じて
横たわっているというふうに思いたい。

獣医は時間通りに来た。私はフィンを立たせた。もう何週間も自力でたっていない。
よろよろと歩く。フィンの背中には卵大のしこりがあったが、おそらく腫瘍であろう。
たとえこれを除去できたとしても彼が回復する見込みはほとんどなかったに違いない。

同意書にサインをしてフィンを家の中に運ぶ。
この数週間でフィンは体重が三分の一も減った。
しかし頭をもちあげ、私がいつも好きだった彼の威厳のオーラを放っていた。
シェリル、テッサとマイルはそれぞれフィンを抱きしめ、さようならのキスをした。

フィンを私の膝の上に抱える。静かであった。
ほとんど見えないその目はしかし私のほうをまっすぐ向いていた。
注射の液をフィンの身体の中に注入している間、
私は彼に腕を回し、鼻にキスして耳元でささやいた。
「グッドボーイ。ビューティフルボーイ、ベストボーイ」
フィンの呼吸はその数秒後停止した。

獣医はフィンをチェックしてうなずいた。
私は彼を持ち上げ、垂れる頭を抱きかかえ、墓の中に横たえた、家のほうへ顔をむけて。
そうすれば私たちをいつでも見ることができるから。
おもちゃの象と写真をフィンの横に置いた。
子供たちは毛布をかぶせる前にもう一度最後にフィンをなでた。私は祈りを捧げ、フィンに言った。

「お前はお前のやるべきこと、そしてそれ以上のことを十分果たした。
お前はいつもこれからも私たちの家族である」と。

それぞれ土を投げ入れ、私が穴を埋めた。
力の要る仕事で、何か集中できることがあるのは本当にありがたかった。
狸やスカンクが入らないように墓の横に.石を置き、
フィンと散歩したときに拾ったレンガを積み重ねた。
ここまで頑丈にすればサイさえもフィンの亡骸に触ることができないはずである。
フィンとの散歩で見つけた大理石を墓石にし、
周りに小石をほどこして、彼の永遠の寝る場所が完成した。
テッサはオレンジリリーを飾り、マイルは石置きを手伝うと聞かなかった。

すべて終わった。私は安堵の気持ちで一杯である。一番よ良い方法でやった。
フィンはやっと痛みのない平和な世界へいった。

フィンが死ぬ日は私の最悪の日だと推測していたが、
予想していなかったのは翌日のフィンがいない最初の日の衝撃である。

朝、ラグの上に黒いもじゃもじゃの毛の形はもういなかった。
一緒に歩くフィンはもういない。彼の持っていたもの、甲状腺の薬、、ドッグフード、
豚の耳、おもちゃ。バスケットにつめて寄付しに行った。
中には誰の役に立たないものもある。
いつも家の中を得意げにもっていたグリーンのボール、おむつ、そして期限切れの犬のチョコレート。

フィンのものを獣医に持っていったとき、黒いラブラドールを連れた婦人が事情を察して
慰めの言葉をかけてくれたが、私は喉がつまって返事ができなかった。

私の部屋から見えるフィンの墓を目の端にとめながらタイプをしていると、
たまに背後の床から私を眺める懐かしい視線を感じる。

フィンはうるさい犬ではなかったが、ふんふん鼻を鳴らしたり、いびきの聞こえない部屋
は異様に静かである。カーペットの上にはまだ毛玉が残っている。
彼の湿った冷たい鼻が私のひじをつつくことはもうないのだということがいまだに信じられない。
さようなら親愛なるフィン。

Toby Harnden

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Mail Online
写真も転載

この話しが胸を打つのはフィンがフシェルター犬だということもありましょう。
フィンは心から愛してくれた人と生をまっとうすることができました。
フィンになりうる多くの犬猫が虐待され、捨てられ、名前で呼ばれることもなく殺戮されています。



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是非

日本ではまだまだペットの安楽死を考える方は少ないのではないかと思います。
私は安楽死、賛成です。

10年も前のお話ですが、ご近所の犬が癌にかかり、一日中泣いているのが耐えられないと車のトランクに押し込んだら翌日亡くなっていたと言う、何とも胸をかきむしりたくなるようなことがありました。
その方は獣医に安楽死をお願いしたそうですが、その医者は「私にはそういうことは出来ません。」と取り合わなかったようです。
痛止めか麻酔薬でも処方してあげて欲しかったとその話を友人から聞いた時に思いました。

庭でつないで飼っていたとはいえ10数年間も一緒に過ごしたワンちゃんなのに、家族なのにと、その奥様を軽蔑してしまいました。
それよりもその獣医に憤りを抱きました。

今日のお話は涙、涙で読みました。
前回に続く長い文章を訳してくださり有難うございました。

Re: 是非

COCOさん、
私もイギリスに来た当初は安楽死にとても抵抗がありましたが、
身の切られる選択ですが、こちらのほうが良いのではないかと思います。
十年前のことと言えども、ひどいお話ですね。
日本もすこしずつ、変わってきていることを願っています。

日本でも

考えさせられました。
4月16日に愛犬を呼吸不全で亡くしました
もしあの子がフィンちゃんと同じだったらと思うと自分は安楽死を選択できたのだろうか?
日本の獣医師さんのなかには安楽死を容認する人も増えてきていると聞きます。
矛盾してます。この日本はまだまだ殺処分という言葉の下1日に数千頭もの 命 を奪っている
国はそれを 安楽死 だと言っている
被災地のどうぶつも 安楽死 だと・・・・
なにか頭の中が整理がつきません
でも このような記事にめぐりあえたことに感謝しています。

Re: 日本でも

ワンワンオーナーさん
愛犬を亡くされたのですか。慰めの言葉もありません。
どうぞお力落としのないようお祈りしています。
仰るとおり、安楽死というのは飼い主の愛情の発露から
為される行為であって、動物の大領虐殺に
使うべき言葉ではありませんね。

否定も肯定も

こんにちは。
以前から拝見させて頂いておりました。
読みながら涙が止まりませんでした。
フィン、そして家族の皆様 お疲れ様でした。

15年半を共にした愛犬(黒ラブ)を2年前に無くしました。
最期の3年間は寝たきり介護生活。
数時間おきに寝返り、そして連日の夜鳴き。
亡くなる半年前には胃捻転になり手術。
体は骨と皮だけになり、肩には腫瘍ができてどんどん大きくなり、でもいまさら検査してもし癌だと分かったとしても手術の負担はあまりにも大きく、手術できる可能性がないので検査もしませんでした。
腫瘍があるせいで寝返りもうたせられなくなり、あっという間に床ずれが広がり強い異臭を放つ膿と共に毛皮が組織ごとはがれ落ちました。

亡くなる2週間前からはご飯も受けつけなくなり、「胃ろう」も考えましたが苦しいだけの延命はしたくなかったので、脱水になると辛いらしいので保液だけをして・・・
亡くなる数日前からは下血を繰り返し、いくらキレイにしようと頑張っても大きな体を移動させて洗うことは犬の負担にもなるのでできず、
濡れたタオルで拭いてやることしかできず、
発作のようなものを繰り返すようになり、舌は垂れ下がり意識もモウロウ。
「これ以上はもう頑張らなくていい!」
そこで初めて「安楽死」という言葉が浮かびました。
でも主人が「ここまできて安楽死を選択したら後悔するよ」と・・・
結局発作の感覚がだんだんと短くなり、最期は苦しみ抜いて目をカッと開いたまま亡くなりました。

骨と皮だけのいったい何の生き物なのかも分からなくなった体。
パンパンに浮腫んだ四肢。
舌が出たままの口。

そして 閉じない瞳。

あまりにも衝撃的すぎて今でも頭から離れない光景。


長々と書いてしまいましたが、「安楽死」は私はあって良いものだと思います。

もっと早く楽にしてあげれば良かった。
自宅で介護して看取ることはできたけれど、
その時を待たずに苦しみから解放してあげるべきだったと今でも悔いてやみません。


カレが虹の橋を渡ってちょうど1年後。
動物保護団体から里子を譲り受け、家族になりました。
被災動物が気になってネットを見ていたことがきっかけとなり、被災犬ではありませんが里親になることを決心しました。
シェルタードックだったことを思うと、今まで感じたことのない感情が沸いてきます。

今私のそばで寝息をたてているこの子が、前の愛犬と同じようなことになるかもしれない。
でも、そのときは間違いなく私は「安楽死」を選ぶと、そう確信しています。

亡くなった愛犬が身をもって私にたくさんの事を教えてくれました。
ありがとうケリー。

Re: 否定も肯定も

さなママさん、
3年間介護生活を送られたのですね。
「悔いなしっ!」とケリーを見送られたことと思います。
本当に愛し愛された幸せな関係でした。

シェルター・ドッグをもらわれたとのこと。
今まで感じたことのない感情が湧いてくる。
私もそのお気持ちと同じことを感じました。

「安楽死」はこの世で一番その子のことを愛している
飼い主だからこそできることなのだと思っています。
日本でも少しずつ受け入れていくことを願っています。

プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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