世界中ついてきたフィンへ

2012/ 06/ 30
                 
Picture 1205
At Regent Street

新聞記者である飼い主に世界中ついてきたレスキュー・ドッグ、フィンへ

ベルファーストの野良犬だった毛むくじゃらのフィンは
若いころは、むこうみずだった。
翼を広げたわしのように大波へつっこんだり、10フィートの高さの土手も
難なく駆け上がっていた。

1998年彼をひきとってまもなく、フィンはハウの港の岸壁を越えて下に落ちた。
私たちの短い日々は終わったと、心臓をどきどきさせながら、彼のもとへかけよった。
岩の上にひっかかっていたフィンは羊のような眼をして私を見て喜んだ。

ああ。それも遠い昔である。風のように走っていたフィンは
神経痛を病み、階段の上り下りは抱えなければならない。
床の上にへたって立ち上がれなくなっていることもある。

散歩は、一日に二回、非常にゆっくりで歩く。
耳も目も不自由なので、行きつ戻りつしながら、フィンに方向を示さなければならない。
一日4錠の薬を二回飲む。痛みで時々きうなるが、マッサージすると楽になるようである。
長年完璧だった歯は腐り、ビスケットも大変になってきた。息は下水のような匂いがする。

フィンと会ったのは新聞記者として北アイルランドに勤務していたときである。
ナショナル犬保護ホームに犬を探しにいくと、
フィンは「テリア雑種参照番号34・98バディ」記されていた。
ケージに寄ると他の犬はぜんぶ吠えながら突進してくるのに
フィンは静かだった。私を見て静かに尻尾を振っていた、

「オッケー、決まった。あなたと私は人生を一緒にやっていくんだ」
と言ってるように見えた。
彼はおそらく人間に触られたことがなかっただろう。
しかし数日すると私の横に丸まって寝るようになった。
彼のために買ったクレートは結局使いじまいだった。
フィンは私のベッドの上で寝ると決めたからである。

フィンは私の気持ちを一刻一刻感じ取るようになった。
1998年、ベルファーストのオマー爆弾事件を取材し、
一週間後に戻ってきたときのことである。
友人の家からフィンをひきとり、ソファの上に静かに座った。
恐ろしい事件だった。29人の人の命が恐ろしい方法で失われたこと。
涙がこみあげてきた。
その時、優しく私の膝の上に置かれたフィンの頭を感じた。
魂のこもった、慰めの茶色の瞳で私を見上げていた。

それから14年以上、フィンは海外特派員の犬として
私と一緒に世界中で暮らしたのである。
イギリスからワシントンへ赴任したときは、
9月11日以降、警戒がきびしくなり、
フィンをオフィスに連れていくこができなくなった。

ワシントン時代、私は非常に忙しく、一日中留守にしなければならなかった。
フィンは窓のそばで哀しそうに座っていた。
ある日とうとう近所に住むベルギーの婦人マーティネがフィンを可哀想に思い、
お昼頃散歩に連れていってあげようかと申し出てくれた。

イラク侵略後、私たちはエルサレムへ向かう。
爆弾の音はフィンの生まれた場所アイルランドを思いさせたであろう。
エルサレムでは世の中には犬好きでは人間もいることを学ばなければならなかった。
フィンは野生猫に襲われたり、パレスチナの若者に石を投げられたりした。
また敬虔なオーソドックス教のユダヤ人が犬を不浄なものだとみなしていて。
ある日私がリードをつけたフィンがそばを通っただけで、女性が悲鳴をあげたこともある。

ジンバブエでは立ち入り禁止地区に入った罪で
刑務所に2週間ぶちこまれた。
100人ほどの収容者と固いフロアで目を閉じ、
フィンのシルクのような毛をなでていることを想像しながら眠りについた。

フィンをケンネルに預けたことは一度もない。
私が遠くに出かけるときは友人たちに預けていく。
出かけるときいつもドアのところで、
預かってくれる人の足元に幸せそうに座り、私を見送る。
フィンはいつも何とかやっていける。
クレートに入れられ、飛行機に乗ることも、検疫もへいちゃらだ。
野良犬のころから自分を守ることを知っているのだ。

フィンの人生も私の人生も、2006年に変わった。私は結婚したのである。
フィンは私のベッドではなく床に寝るようになり、
シェリルを2番目のマスターとして受け入れたのである。

一年後私の出張のとき、シェリルは流産した。
フィンは一晩中シェリルのもとを離れなかった。
2007年、フィンは病院から小さい人間が出てくるのを幸せとともに迎えてくれる。
娘のテッサである。娘が最初の泣き声をあげたときのフィンの耳の立ち方は一生忘れない。

第一日目からフィンはテッサのゆりかごの横で寝るようになる。
テッサが歩き始めるとおもちゃのあひるをひっぱりっこしたりして一緒に遊ぶようになった。
ときどきテッサがフィンの食べ残しの骨をかんでいるのを見てあわててひっぱりだすこともあった。
テッサも免疫力がついたことであろう。

3年後、マイルズが生まれると、フィンは子供たちの忠実なガーディアンとなる。
尻尾をひっぱられたり、毛をつかまれたり、あるいは馬のように乗られても、
フィンは決して怒ることはなかった。

フィンが最後にリスを追いかけたのはいつだったろう。もう以前のようには遊べなくなっていた。
子供たちももうフィンは年老いていたことを知っている。

この14年間、私が部屋にいるときはフィンも必ず同じ部屋にいた。今でもそうだ。
彼が私を追いかけて二階にあがったり下に下りたりしたい時は吠えて私に知らせる。
私は彼を抱えて移動する。彼は抱えられるのはまったく気にしない。
薬は食べ物に混ぜても食べなかったが、私が彼の喉のほうに手をつっこんでも構わなかった。

フィンはゆっくりだが確実に弱ってきている。
最後の決定をしなければならないのは非常に苦しいが、
不思議なことにフィンがもうすぐ逝ってしまうことがそんなに悲しくないのである。

彼はかけがえのない友人であり、いい犬生を送った。
それが私の支えであり、これからも祝福の気持ちとともに
胸の中に輝き続けるのである。

Toby Harnden


article-2165677-13B8AA14000005DC-305_634x452.jpg

article-2165677-13B8AAC2000005DC-983_306x423.jpg
同じ犬、しかし違う枝 エルサレムで

MAIL ONLINE
写真もメールオンラインより転載

この数日後フィンは逝ってしまいました。その記事は次回に



スポンサーサイト
                 

コメント

        

2枚の写真を見比べると別犬のようです。
それに子供さんたちと映っている写真で見るとそんなに大きくない犬ですね。
トビーと世界中を一緒に駆け巡ったフィンはどう感じていたのでしょう。
犬は今を生きると言われていますね。
その時その場所をフィンはトビーと生きていたのでしょうか。
深いつながりを感じます。

トビーがフィンにたいして、いい犬生を送った。と言えるのは幸せな事ですね。

私はメグが虹の橋に駆け上った時「ありがとう、ありがとう」を繰り返し言っていました。
そして、、、、私はメグに多くの幸せをもらっていたけれど、メグは幸せだっただろうかと涙しました。
Re: タイトルなし
Cocoさん、
メグはもちろんこれ以上の幸せはなかったと確信しております。
Cocoさんにも「ありがとう」と感謝していたことでしょう。
フィンの最後の日々も本日アップしましたので、ご覧になってくださいね。