我々が文明人だと誰が言ったのか

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合衆国の政治家サラ・パリンが次回の大統領選挙に出馬しないと発表したとき、
(神と家族の時間を大切にするためにだそうだ)、以前彼女がコメントしたことを思い出した。
達成感という話しになったとき、彼女は北米トナカイを撃ち殺したとき、
気持ちがすっきりするといったのだ。
殺したときにすっきりする?

私はかつて人間の利益のためとされる動物実験に関わっていた。
しかし生きた動物と向き合い、、それらが死んでいくのを見るにつけ
人間のためと理解しながらもハッピーになることは決してなかった。

ハッピーな気持になったのは動物が自由を楽しむ姿を見ることであった。

現在は田舎に住み、毎日動物が自然の中で楽しんでいる姿を見ることができる。
吼えて、休んで、食べて、寝て、繁殖する自由。

しかし ケント州の田舎でも動物は生きる権利がないということは明らかである。
私のいとこはスポーツという名目で彼らの自由を脅かしている。

国会で猟を禁止すべきかどうかの討論に
長い時間を割いているのがどうもわからない。
世界にあれだけスポーツがあるのだ。
猟をやめることが理にかなっていると心の底から思う。
何故猟をするのか友人から長々と聞かされても、
逃げ遅れた動物が狩猟犬からずたずたにひきさかれることが、
楽しいことだとは考えらない。

食べるために?過去には必要だったかもしれない。
害悪動物の駆除のためと称するか?もっと立派な理由はないのか。

ハンティング、シューティング、そしてフィッシィング。
私の研究所のねずみたちのように、最後には動物を殺してしまう。
かつては人間が生きるために追いかけていた獲物を、
今やスリルを追い求める目的で殺戮するのである。
動物の生命を奪うことが恐ろしいことではなく、
楽しいスポーツと思う心は背筋を凍らせる。
私が使ったねずみたちがすべて癌を治す目的だとしても、
アフガニスタンで殺されたタリバンがテロリストだったとしても、
殺すことを楽しいと思うのか?

私は皮の靴をはく。肉を食べたい人に調理する。 私は小心な偽善者である。
人を諭すほど知らないので宗教や政治の問題に触れて友達をなくしたり、
選んだりしないようにしている。

そして狩猟ガンを持つ人や、魚釣り道具を持っている人たちを好きになることもありうる。
しかしそういう人たちを見ると心配になる。
スポーツとしてからめて、死の事実を見過ごしているのではないかと。

田舎へ引っ越したとき、子供のころスポーツがどれだけ好きだったかを
パートナーに話したところ、私は魚釣りの道具を渡された。
釣り道具をもった私はチャレンジをしようと気持ちが高まった。
しかしその気持ちはすぐに変わった。釣りに成功するということは、
少なくとも痛みが介在し、最悪の場合は生き物を
死に至らしめることになるとわかったからである。

スペインのカタラン地方で闘牛が禁止された。
しかし政府は芸術と文化の産物だとして守るべき伝統とすると発表している。
私は闘牛をお楽しみだと感じる人たちと世界を共有していることに不安を覚える。
血とスポーツが一緒に存在することが文明なのかとパートナーに問うた。

「我々が文明人だって誰が言ったのか」と弾丸よりはやく答えが返ってきた。

By Sophie Petit-Zeman

guardian uk

ハンティングと称して、害獣駆除と称して、無力な動物たちを銃でしとめたとき、
「やった!」と思うその人間達をこの地球上から駆除したいと思っています。

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全く同感です。

Re: タイトルなし

理恵さん、コメントありがとうございます。
プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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