心に適う(かなう)行動をとれているだろうか

DSC_1637.jpg

PETA:(People for the Ethical Treatment of Animals)は、
1980年にアメリカバージニア州ノーフォークで創設された世界最大規模の動物の権利擁護団体。
イギリス、ドイツ、オランダ、インド、アジア太平洋地域に支部を持つ。
英称の頭文字を取って、通称PETAと呼ばれる。
その創始者であり会長であるイングリッド・ニューカークはイギリス人。
18歳のときに父親の転勤でアメリカに渡る。

動物保護への道

22歳になるまでニューカークは動物の権利について何も考えたことはなかった。
ベジタリアンでさえもなかった。
1970年、メリーランドに移り住み、ストック・ブローカーになるべく勉強をしていた。
そのころ隣人が仔猫を何匹か捨てたのでニューカークは動物シェルターにつれていくことにした。

「シェルターの女性が裏から来いと言ったのです。
私はこれで仔猫たちは生きていけるととても喜びました。
時々会いに来ていいかと聞いたら、女性は私の顔を見て言いました。
’何の話しをしているんだい。全部死ぬんだよ’
私はあわてて仔猫たちを取り戻しました。
なんて失礼な女性でしょう。汚い場所でした。
こんなひどいところは見たことはありませんでした。
何故かわかりませんが、そして今もわからないのですが、
私はそのとき’それだったらここで働いてやる’と決心しました」


ニューカークはシェルターで働くようになり、動物虐待の様々な形を目撃した。
その傍ら、毎朝毎晩小屋を消毒し、アニマルケア、行動、動物虐待の勉強を始めたのである。

「私はオフィスの前線で働くことにしました。
そこで私が見たものはひどいものでした。
スタッフが犬を蹴飛ばし、フリーザーの中に入れる。 
動物を蹴り、葡萄のように踏み潰している。しかもまったく気にもしないで。

最後は私は誰よりも早くシェルターに行き、自分で動物を殺しました。
死にいたらしめる残酷な過程を味あわせないと決心したからです。
1000匹くらい殺したと思います。毎日何匹も何匹も。
動物が苦しむのを見て喜んでやっている人間もいるのです。
毎夜号泣しながら運転して家に帰りました。
骨の髄までこれが正しいことではあってはならないと」

彼女は警笛を鳴らした。
その後メリーランドのモンゴメリーカウンティ、
そしてコロンビア地区の動物保護官になり、
DCの初の女性犬猫収容所長となった。
そこで獣医、里親プログラム、調査機関、不妊プログラムの資金を
市に捻出するよう説得したのである。
1976年にはコロンビア地区の公共衛生局の動物病気管理部門の部長となった。

PETA設立

1980年ボランティアとして働いていたアレックス・パチェコに出会い、
そこで動物の権利という概念を知る。そのころには彼女はベジタリアンになっていた。

「私は肉には目がなかった。特にレバー。私の心は男だと思っている。父の息子として育ったのです。
生卵も生肉も何でもいけた。
でも肉産業で何が起こっているか知ってからはとても協力することがきなくなりました。
今食べるとすれば轢死した動物の肉だけです」

I動物の権利という言葉は当時のアメリカでは誰も知らなかった。
しかし「動物の権利」の概念はその8年前の1972年イギリスのオックスフォード大学の学者
とくに哲学者が提唱を始めていたのである。
動物の種を差別することは人種や性別を差別するのと同じことである。
1980年ニューカークとパチェコはこの概念をアメリカの民衆にを教育するために
団体を設立することに決めたのであった。
 ウイキより抜粋

心に適った生き方をしているか、と自問自答しながら、
私の方法でやっていきたいと思っています。
思い描くゴールはニューカークさんと同じです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
ホームページ
私に何の関係があるというのだ

最新記事
多くの方々がご覧くださった記事
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

イギリスの動物保護団体
ノン・キル・シェルターの成功法ヒント
当ブログについて
記事すべてリンクや転載フリーですが、もしご使用いただく場合はリンク元を記していただけると嬉しいです。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
QRコード
QR