ゴリラの死を悼む肉食者たち

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オーストラリアの倫理学者哲学者であるピーター・シンガーは
最も影響力のある現代の哲学者と称されています。
有名な「動物の解放」は多くのベジタリアンのバイブルです。

最近アメリカの動物園で子供がゴリラの檻に落ちて、
ゴリラが射殺された事件がありましたが、
6月15日LAタイムスに寄稿した彼の記事が静かに胸を打ちます。
タイトルは「ゴリラのハランべの死を悼む肉食者たち」

先日、シンシナティ動物園で4歳の子供が塀によじ登り、
前日17歳の誕生日を祝ったばかりのゴリラ、ハランベの檻の中に落ちた。
子供とゴリラは10分ほど一緒にいたが、
ハランベは襲いかかる意思があるようには見えなかった。
しかし子供の足をひきずり回していたので、
あのスピードと力では水の中に落ちて溺れるか頭蓋骨を割る可能性があった。
 
動物園側は子供の安全を確保するために射殺した。
トランキライザーは発効するまで時間がかかるし、
ゴリラが興奮して暴れだすかもしれない。
 
人々の反応は様々である。園に対して怒りを表す者。
たかがゴリラじゃないかという者。
同じような反応がライオンのセシルとマリウス、
コペンハーゲン動物園のキリンが殺されたときにも見られた。
 
自分の子供の食事には肉を与えている人々が、
他人の子供の生命が危険にさらされている状況で、
ハランベを殺したと怒り狂っている。
 
動物に対する人々の態度は変化しつつあるが、
たいていは混乱し、矛盾していて一貫性がない。
 
動物関連のこういった報道は使う言語にも混乱が見られる。

ハランベに関する記事はどんなにゴリラに同情的でもwho ではなく
itを使う。It はもちろんwho よりも対象を低く見ているということである。

ニューヨーク・タイムズ誌も最初は thatを使っていたが、
その後、ネットではwho に修正していた。
動物に名前がある場合は
who に書き換えなければならないというマニュアルがあるそうだ。
しかし、動物は椅子や岩とは違う。
人間が名前をつけようがつけまいが、
意識があり感情があるものは物ではない。
 
少年の家族は「園がとった措置を感謝する。
子供のせいでこんな事になって大変申し訳ない」という声明を出したが、
そこにはハランベの名前はなかった。
捕獲された動物を子供に見せて喜ぶ家庭が、
「動物は個々の存在である」という見解はないのであろう。
 
このような事が起こると、責任者を見つけようと必死になる人々がいる。
動物擁護者たちは、
少年の命がゴリラの命よりはるかに重要だとは
自動的には考えないだろうし、
麻酔銃を使用すべきだと思ったであろう。
しかし、そう言うのは簡単である。
自分の子供が体重400ポンドもあるゴリラに引きずられていたらどうであろう。
射殺を選択した動物園を責め立てることができるだろうか。

寄せられている苦情電話は子供を心配するより、
ゴリラを射殺してしまった悲しさや憤りが大半を占めている。
ところが、アフリカで、しとめた獲物の前で笑っている
多くのアメリカ人に対しては苦情も告発もない。
 
今回の出来事の中で着目しなければならない事は、
私たちはまだ娯楽のために動物を閉じ込めているという事実である。

民衆の抗議により、
メジャーな水族館で行われていたシャチの繁殖は廃止された。
何年にも渡るマスコミの批難を受け、
リングリングブロスは象のショーをやめた。
今回のハランベの死は、ただ眺めるためだけに
動物を閉じ込めているという事実を再認識させるものである。

本来ならジャングルで暮らしているはずのハランベは
檻の中に入れられ、食べ物も他の仲間と交わることも、
すべて制限があった。
彼は待遇の良い囚人であった。
しかも何も罪を犯していない囚人である。

自然界の棲息域は少なくなっており、
絶滅しそうな種は
安全な場所で保護しなければならないという人もいる。
サンクチュアリーは確かに必要な場合もある。
しかしサンクチュアリーは動物園ではない。
サンクチュアリーは種を保護するためだけでなく、
個々の動物の福祉を優先事項とする。

動物の事を知れば知るほど、私たちとは違うということがわかってくる。
ダーウィンが言うように、
違いは深さではなく、種類がもともと違うのである。
動物は知性と感情を持っている。キリンもライオンもゴリラも。
そして毎日切り刻まれてサンドイッチにされる動物たちも。

「サッカーをする七面鳥」と検索してみて欲しい。
3羽の感情を持った生き物が
はっきりと楽しい時間を過ごしているのを見ることができる。

シルバーバック種のゴリラ、ハランベは
豚や七面鳥などの動物は食べなかった。
私たち人間も必要ない。
そんなものを食べないほうが
地球のためにずっと良いということは広く行き渡っている。

ハランベの死を悲しいと思っている人たちは
もう一度考えて欲しい。
今回の動物園でのあんな切羽詰まった状態ではない時に、
殺すという選択が正義を問う状態ではない時に
考えて欲しい。
動物を娯楽のために幽閉することをどう思う。
スポーツのために、ファッションのために、
あるいはこの味よりあちらの味が好みという事で
殺される動物をどう思う。

彼を撃ち殺した人々を批難するかわりに、
私たちが動物に何をしているか。
無駄に死んでいく多くの命を救うために
私たちに何ができるか。
ハランべの死は、そういう事を
今一度考えてみる機会として捉えるべきである。


先週、シンガー氏はオーストラリアから
ロンドンの大学に講演をしにやってきました。
一般公開もされていたので、すっ飛んでいきました。
今回は動物の話ではなかったのですが、、
地理的に遠く離れた人たちでも、困っているときは
助けようとすることが人間であるという倫理学でした。
私たちは最低3つのチャリティ団体に
何等かの貢献をすべきであると。

穏やかな上品な素敵な先生でした。

写真はレクチャーが行われた大学の建物です。


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プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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