いつか日本に届けたい本


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バタシー・ドッグス・キャッツ・ホーム150周年記念を祝ってとても美しい本ができております。
いつか日本の皆様にお届けしたいと出版社に数社企画を出しましたが、まだ実現しておりません。
中の写真も涙がでるほど素晴らしい。いつか日本の地を踏めることを目指して頑張ります。
以下は企画のために準備した拙訳です。


A Home of Their Own
プロローグ

1860年の冬はとりわけ厳しかった。夏まで雪が残った有名な1814年の極寒の年を思い出させる。ロンドンでも冷たくふきすさぶ風や深い霜が百万人もの貧困層やホームレスの人たちの生活を通常よりも耐え難いものにしていた。収容所は貧しい人たちであふれかえっている。噛み付かれるような寒さのため命を落とすことを「やっと救われた」と表現をされ、収容所での人々の暮らしぶりは国の恥と報道されるほどであった。

すさまじい寒さの中で命を落としているのは人間だけではなかった。

その年、ホローウェイ地区のホリングス・ワース・ストリートへと向かうベルファースト・ニュースレターの記者の姿があった。ロンドンの最も新しい、最も斬新な動物ホームレス・センターへ取材にいくところである。

通りからはずれ、馬小屋にはさみこまれているセンターを探し求めるのは至難の業である。記者は通りで遊ぶいたずら小僧たちに聞いてまわり、ようやく「迷子のお腹をすかせた犬たちの家」とぺンキで書かれた板がかかっている建物を見つけた。

数週間前に開いたホームについて記者は好意的な記事を寄せていた。「誰にでもできることではない。忠実で愛情深い犬たちを餓死させないような手立てを持っている女性に違いない」と。

ホームの第一印象はポジティブなものであった。記者を迎えてくれた管理人のジェームス・パビットについて次のように語られている。

「まともな人間に見える。木靴をはき、馬車を懸命に洗っていた。ストーブには火が燃やされ、きちんと片付けられた長屋である。ジェームスの犬好きは一目でみてとれた。

彼の仕事は犬の世話と引き取りの手続きである。ティベリー婦人の家のドアの前にところへ犬を置いておけばよいと次から次へやってくる人々がどうやってこのわかりにくい場所にたどりつくかは気に留めたことはないようだ。

この家の動物の住人は白と黒の大きなヤード・ドッグであった。片方の目が黒く、尻尾がないあまり人好きのする犬相ではない。私のすね肉を喜んでディナーにするような感じだ(実際に何度か試みようとした)。

捨てられた犬たちはつぎはぎのアパートの中に収容され、檻から鼻を突き出してわめいている。まるで訪問者が彼らの人生の重大ごとであるかのように。レイアウトはシンプルで快適だ。一部屋は4つに仕切られ、長い廊下を渡し、東側のしきりにはわらが敷きつめられた犬の寝床となっている」

ベルファースト・ニュースの記者は続ける。

「訪問者はその清潔さと合理性に驚く。壁に取り付けられた箱には金文字で‘当ホームへの寄付をお願いします’と書かれ、その横には「ホームの規約」が掲げられていた」

記者はもちろんホームの設立者ミセス・ティベリーに会うことを望んでいた。彼女にまつわる逸話をいろいろなところで聞かされ、他の人と同様、ティベリー未亡人は、私的基金によりホームを設立したと思っていた。当時、ホームには婦人の存在を示すものは何も見あたらないし、管理人のジェームスもなぞに包まれた雇い主をアピールするかわりに、犬を欲しいと一日で15人もの紳士淑女が申し出てくれたことばかり熱く語るのである。

記者が帰り支度を始めるころ、職務に熱心なジェームスは気の荒いマスティフとソバリンのハーフはいらないかね薦めてきた。私は丁寧に断り、ホームを辞した」

ホームに関する記録に残る初の記事は好意的に書かれた。ある一点を除いては。

「この収容所の唯一理解できない特異性に強く反対する。きっと読者の皆様も同意してくださるだろう。それは‘猫とて同じくらい急を要している’(笑)」

記者はホームの将来性を強く確信していた。創設者の名前は年月を越えても語り継がれるのは疑いのないことだと結んでいる。

その予言は当たっていた。150年たった今でもメリー・ティルビー婦人の名前は輝きを失っていない。場所も名称も変わったけれど、彼女の魂は確実に受け継がれている。今や猫さえも保護する、迷子になり腹をすかせた犬の保護所はバタシー・ドッグス・アンド・キャッツ・ホームとして世界で最古のそしてもっとも有名な動物のサンクチュアリーとして世界のリーダーとなっているのである。

1860年に最初のドアを開けて以来、何百万匹もの迷子や虐待を受け捨てられたペットが、創設者が約束した「どんな状態であろうと、どんな形であろうと、拒否されることはない」というポリシーの恩恵を受けてきた。世界中のアニマル保護所がバタシー・ホームを慈愛と希望の象徴のモデルとしているのはこの精神である。

最初は到底無理だろうと思われた。ホームはいつも社会とペットの飼い主の態度を映し出す鏡であった。ビクトリア時代のロンドンの人々は通りをうろつく野良犬などに理解を示す余裕など全くなかった。マスコミはホームのやっていることは感傷的な行為に過ぎないと批判し、中には人類の愚行だと言い切る新聞もあった。経済的にも困窮をきたし、不謹慎なスタッフ、大家からの追いたて、犬の声がうるさいと法的に制裁を加えようとする隣人たちにも悩まされた。加えて、狂犬病問題、数々の戦争など、幾多の困難の中で、生き残るだけでなく、成功していったのは小さな奇跡であろう。多くのアニマル・サンクチュアリーが生まれては消えていく中で、パイオニアであるバタシー・ホームは残ったのである。

本書は犬猫の福祉の歴史を変えた団体の物語であるが、過去150年の間で人々が犬猫をどのように扱ってきたかその進化を見る記録でもある。それは必ずしも良い方向に行っているとは限らない。もうひとつの切り口として、貧しい者から金持ちまで国民全員が参加するイギリスの宝であるチャリティ精神の成長と発展がうかがえる。そしてもっとも大切なこと、すなわち犬と猫とそして人間の素晴らしいストーリーを垣間見ることができる。先見の明をもったホームの創設者、愛情あふれる不屈の精神をもったメリー・ティルビー婦人の素晴らしいストーリーである。

筆者あとがき(抜粋)

最後に私の感謝はバタシー・ホームの犬たちへも捧げたい。何度もホームへ足を運ぶうちに、老犬のボーダーコリー、アンガスと友達になった。取材に疲れてオフィスに戻ると、アンガスは喜んでかけより、そのままずっと一緒にいてくれる。活動的ではないがいつも私の足元でハッピーに寝入る。時にはいびきをかきながら。机を離れるときに、彼の大きな身体をまたがなければならないこともしばしばである。そうやって執筆の日々が過ぎていった。

めったにないことだが、私の中でバタシー・ホームが21世紀においても非常に重要で特異な存在として残っている意味が時として薄れてくることがある。そんなとき、アンガスがその意義を思い出させてくれた。

1860年、バタシー・ホームが家のない犬たちに最初の門を開いたときから、何百万匹の無力な犬猫たちがこの場所を「自分たちの家」と呼ぶことができた。国のあちこちに存在する動物を愛する人々の愛情と惜しみない支援を受けるのに値する驚くべき施設である。

訳ノーマンテイラー邦子

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プロフィール

ノーマンテイラー邦子

Author:ノーマンテイラー邦子
ロンドン在住/通訳・翻訳業
保護猫延べ6匹、保護犬一匹、庭にキツネ3匹ほど
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