私に何の関係があるというのだ 

What's That Got To Do With Me? イギリスの動物福祉

犬が死ぬと飼い主は透明人間になる


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Holland Park


自然界における最強の残酷ストーリーのひとつに
「犬の命は人間のものよりずっとずっと短い」というものがある。

レポーターという私の職業柄、たびたび記事に登場する
愛犬ラッキーは読者に愛されたミニセレブだった。
僕たちのテーマソングだってあったのだ。
(アメリカツアーの非表示の料金に含まれていたボブとラッキーの歌)

で、その有名だったラッキーが次の旅行の直前に突然死んでしまった。

世界中のあちこちにいる読者の皆さんに
ジープの窓から顔を出すラッキーを
お見せすることはもはや不可能である旨を伝えなければならなかった。

犬が死ぬと100万のことがうまくいかなくなる。
ここにその一つをあげる。

「飼い主は透明人間になってしまう」

世界との関わりが根本的に変わってしまうのだ。
ペットを飼っている人はわかると思うが、
あなたは「だれだれの飼い主」として知られているだけである。
隣人は犬の名前は知っていても僕の名前はご存知ないだろう。
犬が突然いなくなり、僕も消えてしまう、というわけだ。

ラッキーと歩くときは終わりのないパーティー会場を巡っているようだった。
行きかう人みんな立ち止まって30分はおしゃべりをしていったなあ。
毎日10人くらい新しい友達が増えている感じだった。

今は仕事からまっすぐ空っぽなアパートに戻る。
歩く足取りも重く、筋肉の一つ一つが鈍い痛みを訴えてくる。
心臓のポンプが血液を押し出すのをやめたのかもしれない。

元気を振り絞って外出したときにも
もう人との交流がなくなってしまった事に気づく。
微笑みかけると奇妙な顔をして足早に去り去る。
30分間も犬のことでおしゃべりする人はいないよ。
パーティーは終わってしまった。

心理学者エリック・バーンの説

「私たちの一日は大小の人との交流で構築されている。
友人との挨拶から、他の車の運転手からの一瞥、
恋人たちのディープな愛の会話に至るまで、
ポジティブ、ネガティブもすべてひっくるめて。
人の幸せはこの交流の働きにより作用される。
一日のうちでどれだけポジティブな交流が積み上げられたかによる」

ポジティブな交流は水や食料が人間の肉体にとって必要なように、
精神面でも非常に重要だそうだ。
みなさんも数日間の人とのやりとりを記録してみるとよい。
バーン説が正しいと確信するはずである。

ラッキーが死んだときに私が感じたのは孤独だったのだろう。
現代は微笑を返すよりも携帯のメッセージのほうが重要なのだ。
よろいを着て本当の自分を見せないようにしなければならない。
犬はそんなときに微笑みを交わしたり、
会話を始めたりするきっかけになる存在であることを
誰も否定しないはずだ。

次の犬を迎えるタイミングはそれぞれである。
私は一年待った。一日一日が悲しかった日の記念日。
もう一度愛することができると思った。

犬を飼わない理由はたくさんあるだろう。
しかし犬を飼うことの素晴らしさは、
それらの理由をはるかに凌ぐもの。

これはどうだ。

「あなたは目に見えるようになる。
犬があなたをこの世に存在しているものにしてくれる」

新しい犬、ラスティは美しい。
アーバンレッドの毛並みで人の心を一瞬にして溶かす。
すれ違う人たちはその柔らかい頭をなでずにはいられない。
次に通りかかる人は「可愛いね。これは何の犬種ですか」と興味を示す。
そして微笑みや、ハローや、手を振ったり、握手や初めましてが交わされる。
ゴールデンレトリーバーは客をとりもつ世界のバーテンダーだそうだ。

仔犬が駆け寄ってきた。
そこへ二匹の犬をつれた飼い主がやってきて犬たちも遊ぶ。
おしゃべりをしている途中、小さい頃犬をなくした婦人がやってきて
犬たちをなでながら話しに加わる。
あ、パグをつれた老婦人が私たちをめがけてやってくる。
これは即席のカクテルパーティだ。
この瞬間瞬間が大好きだ、幸せで心がいっぱいになる。

ラッキーも天国からテニスボールを追いかける足をとめて、
この場面を喜んで見ているに違いない。

透明人間になっている皆さん、あるいは悲しみに沈んでいる皆さん、
アメリカでは毎年3,400万の犬猫が殺処分になっています。
あなたが救う命はあなたを救うかもしれない



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Bob Sullivan
When my Lucky died

30 Oct 2018 記事再掲

犬は永遠に死なない


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みなさま、特に最近犬をなくされた方は、
私がこれから申し上げることが分かっていない方が多い。
説明するつもりはありませんでしたが、
私も永遠に地球にいるわけではないので、
ここに真実をつまびらかにすることに決めました。

「犬は永遠に死なない」

これです。

犬自身もどうやってこれを可能にしているのかわからない。
疲れて年をとって神経痛にさいなまれもしますが、もちろん死にはしません。
もし死ぬのだとしたら散歩に行きたいとは思わないでしょう。
神経痛で関節が「いやあ、散歩はよそうよ」と悲鳴をあげても、
犬はやはりいつも散歩に行きたいと思うのです。
足を踏み出した途端、へたるかもしれませんが、犬は歩くのです。それが犬なのです。

わかりますか。犬はあなたと歩くことがすべて。
一番の親友とともに臭いのシンフォニーの中を歩くことが犬にとっての世界なのです。
猫のうんち、他の犬のおしっこ、チキンの骨、そして、あなた。
それが犬の世界を完璧にしている。完璧の世界に死は存在しないのであります。

ただただ眠くなるだけです。
物質の基礎粒子や経済を教えてくれる素晴らしい大学でさえも
犬は死なないということを教えてくれない。実に残念だ。
犬は本当に多くのものを与えてくれるのに。

あなたが思う「犬が死んでしまった」は、
本当は眠りに落ちた状態で、あなたの心の中に移動して生きているのですよ。
犬ってちぎれるようにしっぽを振るでしょう。
胸の中でもね、犬はあなたとこんなに近くにいることが嬉しいからしっぽを振るんです。
幸せにしっぽを振っているのを感じると、泣かずにはいられませんでしょう。
だからあなたは泣くのです。

仕組みはお分かりいただけましたか。

いい子だったんですよね。しかしいつもいい子でいるのは疲れます。
特に年をとってからは、関節が痛いし、顔から着地することもあったし、
雨が降った時は外におしっこに出るのはいやだった。
でもそうしましたよね。いい子だったから。
そんな良い子はあなたの胸の中で眠り、目を覚ましたときはいつもしっぽを振るんです。
犬の暦年月が長くなるにつれ、寝る時間はどんどん長くなってきますが。

おっと、でも死んじゃあいませんよ。実際死ぬなんてことはないんです。
起きる時間はあなたには予想できませんが、あの時のままの良い子なんです。

心の中に眠っている犬がいない人はお気の毒だと感じます。
あ、ちょっと失礼、今起きたようです。ちょっと泣きにいってきます。



This is Why Dogs Never Die

猫はそっと去らない


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共に人生を分かち合った猫たちは

まだここにいるよと

確かな方法で教えてくれる



昔の習慣の中でそう感じる

ドアのところでにゃあと

聞こえたような気がするし

おやつを床に落としたとき、つい待ってしまう



餌ボウルを置いていた場所を

無意識のうちに踏まないように歩く

そして時々、夜、家に戻ったとき

どうしようもない寂しさに襲われる



時がたち、新しい猫たちが来て

新しいボウルに餌をいれるけれど、

胸の中に永遠にあの子たちの場所がある



Linda Barnes

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パンデミックの中で犬を喪う

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ニューヨーク在住Deborah Copaken さんの記事の抜粋です


犬を「安楽死させる」というのが正しい言い方なのはわかっているが、
まるで殺人を企てるために殺し屋を呼んでいるような気がしてならない。

5日前、私はウィリアムズバーグ動物病院の外に立ち、
携帯で獣医とルーカスの安楽死の詳細を話し合っていた。
最近は人間とウイルスは 獣医の診察室に入れないようになっている。

「せめてお別れの時に中に入って 抱っこしてもいいですか?」 と尋ねた。

「いいえ」と獣医は言った。

「スタッフを感染させる危険があるのでビデオ・チャットでお願いします」

ルーカスは衰弱し、視力、歯、そして生きるエネルギーを失っていた。
中国の保健当局が、なぜこれほど多くの市民が
致命的な肺炎で倒れているのかを解明しようとしていた時だ。
私は獣医に、彼が失禁して、自分の尿の水たまりで
目が覚めるようになったと説明した。
いつもは優しい犬だったが、散歩に連れて行こうとすると、うなり声を上げて
皮膚が破れるほどの勢いで、私たちの手に噛み付いてくる。
13年近く散歩が大好きだったルーカスは、散歩をしなくなった。

当日、息子と一緒にルーカスを 獣医に連れて行った。
歩道と診察室の間の前庭のコンクリートの床に座り、
受付に電話し、来院を告げた。

私はすすり泣きながら自分に言った。
「しっかりしろ、自分。ニューヨーク市だけでも
1万人以上の人間が コロナで死亡し、
日に日に多くの人たちが感染しているのだ。
犬のことで泣くのは見苦しい」

コロナ禍における喪失の形は様々である。
日常、予定の喪失 ハグやディナー・パーティー、
マスクのない笑顔や賑やかな歩道の喪失。
ピザ屋で見知らぬ人と一緒に座って
一切れを楽しむことの喪失。
給料の喪失。健康管理の喪失。睡眠の喪失。
冠婚葬祭、卒業式、家族の休暇の喪失。

息子と私は、春休みにハリー・ポッターを見に
ロンドンに旅行に行くことになっていた。
飛行機のチケットを買うために、仕事を掛け持ちし、
貯金してきたが、 今、お金も息子との特別な時間も失ってしまった。

多くの友人、そして友人の両親たちの死に泣いた。
アンドリュー・クオモ知事のブリーフィングを見て泣き
長男の仕事が無くなって泣いた。
下の息子の中学卒業を逃して泣いたこともある。
ニューヨークの通りが空になっているのを見て、
そしてコロナによる肺への損傷の映像をテレビを見て泣いた。

今、私は愛犬のことで泣いている。
子犬の頃、父が死にかけている時、
私の涙を舐めてくれた犬。私を笑わせてくれた犬。

「準備はいいですか?」 受付の人が手袋、ゴーグル、
防護衣、マスクをして前庭に入ってきた。
最後にもう一度ルーカスを抱きしめ、
声にならない叫び声をあげて彼を渡した。

「もうリードは必要ありません」と受付の人が言った。

私は彼のリードを外した。

「首輪も」

首輪を外した時、銀の名札の名前を見て またこみ上げてきた。

空の首輪とリードを手にぎゅっと握りしめ、
私と息子はお互いの肩を抱き合い、
冷たい4月の風の中で家に向かって歩き始めた。

ルーカスとはコロナ禍での別れで
仕方のないことだったと思うことにする。
ルーカスが息を引き取る時に
そばにいて抱きしめることができなかった自分を責めるのをやめる。
人がたくさん亡くなっているのに
犬を喪ったことを嘆いている罪悪感を感じるのはやめる。

生きていくことは、喪うことだ。
愛、時間、人、そして最後には自分自身。
生まれた瞬間から私たちは墓の中に片足を突っ込んでいる。
誰もがそのことを知っている。
切り立った崖から落ちる前に、私たちは食べるものや住む場所、
そして生きる意味を求めながら、毛皮の有る無しに関わらず、
愛した者たちの思い出をしっかりと握りしめ、
頬に涙を伝わせながら、風の中を進んでいくしかない。

On Top of Everything Else, My Dog Died

バスターが死んだんだぞ

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St John's Wood London

ハッタスリー卿はイギリス政界の要人かつ重鎮で、
すぐれたジャーナリストでもありました。
15年連れ添った雑種のバスターをなくしたときは
「人生最悪の日」だったそうです。
彼がデイリーメールに寄稿した記事は胸をうちます。

犬が死ぬということはおそらく日常のささいなことであろうに、
私はその大きな喪失感に耐えられず、身の置き場がなくなってしまう。

私の元へ全速力で駆けてくるときの首輪のタグのちりんちりんという音。
風呂に入れた後の濡れた犬の匂い。
30秒で食べる朝ごはんのボウルのかちゃかちゃいう音。
私のシャワーが少し長くなったとき、突然ぬっと入ってくる姿。
タオルをとろうと手をのばし、
思いがけず彼の顔に水滴がかかった時の恨みがましい顔。
雨そぶるピーク・ディストリクトへ彼に催促され出かけた時のひどい寒さ。
彼のいびきで夜中に眼が覚めたり、
出かける時のハーネスの装着が複雑で面倒くさかったこと!

しかし叶うことなら
私はまたもとのあの不便な生活に戻りたくてしょうがない。

ロンドンからダービーシャーに戻る車の中で眠っていたはずなのに
なじみの村の角っこを曲がると突然起きて歓喜の声をあげる。
家に戻って一部屋一部屋臭いをかいだあと、
階段の踊り場で窓の外で行く人々を眺める。

バスターと階段に座ってよくやるゲームがあった。
ビスケットを一方の手に隠し、バスターの前に差し出す。
バスターは手でそっと入っているほうの私の手を叩くのである。
それはそれは優しい叩き方であった。
ゲームはいつもバスターの勝利に終わるのであった。
こんな小さな思い出がとても辛く胸を刺す。

誰にとっても自分の犬は特別である。
なので私は書かずにはいられないことだけ書留めよう。

ラップ・トップのコードにからまるバスターを見ない朝はなかった。
暖炉の薪の匂いをひとつひとつチェックしていく
バスターの手伝いなしでは冬が始まらなかった。
玄関にスーツ・ケースを見つけると、その間に座りこんだ。
まるでまだらのスーツ・ケースがひとつ加わったように。
もちろん、彼も一緒に行くつもりであることを明確に知らせるためである。

客がバスターの席(だと彼がみなしている席)に座ると、
客の横に体をぴったり密着させ座っていた。
猫やウサギや家畜とはうまくいかなかったが、人間は大好きであった。
私の本の出版のときは
読者のおばあちゃんがおやつをもってきてくれるのを楽しみにしていた。
決してノーと言ったことはなかった。
講演のときは拍手のときだけ一緒に吠える。

この10週間私は考え続けていた。私が彼の奴隷だったことはさておき、
私と彼をつないでいたものは何であったのだろう。

私は彼が自分の心の支えであることを楽しんでいた。
そして彼も私のことを心の支えだと
みじんも疑っていなかったその気持ちを賞賛する。

彼は「希望」を放射していたのだ。

毎朝食料ドアを開けると後ろに必ずバスターが立っていた。
何かもらえると期待して。

バスターのことを先天的楽天家と呼んでいたが、
彼のことを毛皮を着た人間だという風にみなしたことはなかった。
彼は犬である。

人間のテーブルで物を与えたことはない。犬専用のベッドで寝かせた。
犬として扱うことが彼に対する敬意である。
バスターが犬であってくれることで十分である。
それ以上彼に望むことはない。

15年間彼の成長を見てきた。賢くなるのを見てきた。
年老いていくのを見てきた。
獣医は彼は天寿を全うするだろうと予測した。
これ以上疲れて続けられなくなったときが逝くときだと。

「そのときは彼はあなたに教えるよ。」と獣医は言った。

そしてその通りになった。

短くなった毎朝の散歩でさえもきつそうだった。
朝ごはんもゆっくり食べると決めてしまったようだ。
そして一旦横になるともう起き上がるつもりはなかった。

最後の決断はバスターにとって一番良い方法に
基づくものでなければならないが、
私の安楽死の選択をひきのばしたいという気持ちとの戦いであった。

ある朝 私は一瞬の苦悶のときを過ごした後、獣医に電話をかけた。
獣医はすぐやってきた。

バスターはブルーチーズのかけらを食べながら死んだ。
普段は食べることを許されなかった、
錠剤を包むときだけ口に入れられた大好物だったブルーチーズ。

私の悲しみだけが特別だというつもりはない。
どれだけ多くの家族が落胆と絶望に陥っているだろうか。

ただ事実をここに述べさせて欲しい。

人生の中でバスターが逝ってしまったことほど痛みを感じたことはなかった。

そして人前で我も忘れて泣いて取り乱したこともなかった。

一階の私の仕事部屋の窓から
人々が日々の生活を送っているのをながめているとき、
驚きとともに怒りを覚える。
なぜそうやって普通どおりの生活を送っているように振舞っているんだ。
時計を止めろ。
バスターが死んだんだぞ。

犬を過小評価するなかれ。彼は永遠に続く財産を残してくれた。
彼が与えてくれた喜びの思い出である。

バスターにお手やおすわり、ごろり、握手、
死んだまねなど教えるつもりはなかったし、
彼も新聞をくわえてもってくるようなまねもしなかった。

しかし、彼は ―たいしたことではなかったのかもしれないが、

私の人生を変えた。

バスターは私の人生は犬なしでは考えられないことを教えてくれた。

またレスキューセンターへ行って雑種の犬を家に連れてかえることは
バスターへの裏切りのような気になった時期もあったが、
10週間後また私は探し始めた。
新しい犬はバスターの代わりではない。
誰もバスターの代わりにはなれない。
彼の後継者はまったく別の犬である。

ただしその犬はバスターが輝きをもって示してくれた
「犬を所有することの至上の喜び」を再び証明してくれるであろう


Buster


卿の当記事の原稿料はブルークロスアニマルトラストに全額寄付されました。

How I miss my beloved dog Buster
ノーマンテイラー訳